akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

「功名が辻」第6回

「山内家旗揚げ」
千代の活躍
山内家の火の車の台所を
持参金10両
[10両=10石・・・一豊の禄高(年俸)が50石]には
養父母の言葉「貧しくとも生計の為には使うな、夫の一大事の時に使うように」を守り
手もつけず、やりくりする千代(仲間由紀恵)の姿と、


終戦後ソビエト(ロシヤ)に抑留中の父の留守をしっかり守り、私達三人の子供にひもじい思いをさせまいと、農家に閉店商品(貴金属)や着物を持ち込みお米など食料に換えたり、技を生かし娘さんたちに華道を教え、父に影膳を供え無事を祈り、一生懸命に生き抜いた母の姿がオーバーラップしました。


家臣を大切に思う千代に心打たれた一豊(上川隆也)の妻を思いやる、きめ細かい優しさにも感動しました。適役だと思いました。


ソビエトから引き揚げて帰国した父も母を労いとても優しく、皆の為に働いて見事
母と共に立派に店舗を築き、一国一城の主になりました。


出陣の朝、千代は、夜なべして、ひそかに用意していた旗指物を差し出す。
縫い込まれているのは丸三葉柏紋。山内家の紋でした。
絶えず夫の為の気配りを怠りない千代でした。
千代の名言
「今は食事のとき。楽しく食べねばせっかく食べたものも身に成りませぬ。食事は命を養う大事なお仕事とお思いください

「山内家の家紋」

「有名な家紋」f:id:akaibara:20060212213933j:image
山内家が丹波の国で戦った時、背中にさした旗立てが奪われたためにちかくにあった柏の木をさして戦ったところ、その戦に勝ったので、これを吉例として、この柏の葉っぱを家紋にしたと伝えられています。


「桐の紋」
豊臣秀吉に認められて使用を許された桐の紋


「白一黒一紋」
鎌倉時代山内一族が使っている家紋です。数字の一は“かず”“かつ”とも読めるので、「勝つ」に結びつく縁起の良い数字として、武将に好まれました。


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