akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

藤枝

歌川広重作 【藤枝 人馬継立
                   
藤枝宿は東海道22番目の宿で田中城(歴代城主が幕府の要職に登用されたため別名を出世城と呼ばれた)の城下町として栄た。
東西に細長く連なる宿(約2km)で問屋場、本陣、旅籠や商家が軒をならべ賑わっていました。
藤枝市観光協会藤枝市
「月見里神社」があります。

「山が無いから月がよく見える」という意味で、「月見里」と書いて「ヤマナシ」と読むそうです。
周りには視界を遮るほどの大きな山がなく、
月が昇る美しい姿をさえぎらないので、「月見里」の意味が込められているのかもしれません。
源為朝は清水浜から船出の際、波風がおさまるまでこの月見里の小高い岡の社に数日間(5日間くらいらしい)滞留しました。
為朝はその間に幾つかのエピソードを残しました。


神社の名の由来も、
船出を待つ幾日めかの夕暮れ、社の前で月が昇るさまと夕映えの富士山、墨繪の中の庵原の山々、箱根伊豆の連峰に見惚れて、ここから伊豆の大島までの海面は何一つさえぎるもの無くすばらしい。この地は絶好の月見の里であると驚嘆し「月見里(ヤマナシ稲荷神社」と尊稱し奉るように言いました。これが現在の社名の始まりだそうです。

【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】