京都

東海道五十三次・京都
歌川広重【京都三条大橋】

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三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)】天正年間の擬宝珠→
現在の三条大橋の欄干には十二の擬宝珠(ぎぼし)があります。


「生け花に使われる擬宝珠(ぎぼし)は花のつぼみも葉の形も上端につける宝珠形の装飾に似ているます」とお弟子には(ぎぼし)の名前を覚えてもらっています。

欄干の擬宝珠(ぎぼし)は花の擬宝珠(ぎぼし)をモチーフに造られたのかも知れません。


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三条大橋 天正年間の擬宝珠
その銘には「洛陽三条の橋は後代に至るも往還の人を化度(けど)とせしむるもの他、盤石の礎は地に入ること五尋(ごひろ)、切石柱は六十三本也」とその規模が記されています。
化度とは衆生を教え導き救うこと。 


祇園小唄が刻まれた擬宝珠もあるそうです。♬(^^♪
三条大橋の西詰め南側には「旅は道づれ世は情け」、弥次喜多さんの銅像が立っています。


【逢坂(おうさか)】
日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とぱったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。


これやこの ゆくもかえるも わかれては 志るもしらぬも 逢坂の関 
                     (小倉百人一首・蝉丸)

逢坂の 関の清水に 影見えて 今や引くらん 望月の駒  
                 (拾遺集・紀貫之

【車石 】
大津−京都間を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資が運ばれていましたが、この逢坂の峠道はとくに運送の難所でした。
江戸時代、運搬の多くなった、文化2年3月(1806年)に、京都の心学者、脇坂義堂が一万両を費やし、大津から京都三条にかけて約三里(12km)の間を、荷車往来用に「花崗岩」に轍を刻んだ敷石を並べて通行に役立てました。
 これを「車石」と呼んでいます。


 【赤い薔薇の東海道五十三次日記】も今日(京(^_-)-☆)で終わりです。
昨年2005年4月6日から書いてきた日記(週一度水or木曜日)

【東海道五十三次日記・日本橋】

江戸時代に江戸(日本橋)と京都(三条大橋)を結んだ東海道の五十三の宿場を東海道の五十三の宿場を描いた浮世絵と絵師歌川広重と共に終着宿場まで辿りたいと思います。
古い宿場町を訪ねると、暮らしの匂いがあり、人々が築いてきた歴史や伝統に触れることができます

2005-04-06 Wednesday


この三条大橋で道中双六も上がりとなりました。(*^^)v

「街道てくてく旅」
6月16日(金)三条大橋:さんじょうおおはし
江戸日本橋から京都三条大橋まで492,4km

【赤い薔薇ブックマーク・東海道五十三次】
【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】




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【京都市情報】


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三条大橋(京都府京都市中京区三条通
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はてなマップ記法】京都三条大橋の場所

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マップ記法

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*1:【広重について】
【広重と東海道五十三次
広重(本名 安藤重右衛門 )は寛政9年(1797)江戸の定火消同心の子として生れた。
13歳にして、両親を失い定火消同心職を継いだが、絵の好きな少年につとまらず職をゆずって、15歳のとき歌川豊広の門に入った。
少年は広重の名をもらい、美人画、武者絵、役者絵を描いた。

天保3年夏、幕府が朝廷に御馬を献上する八朔御馬献上儀の旅に、広重も加わりこの模様を写生した。このスケッチをもとに「東海道五十三次続絵」を保永堂より出版し、爆発的人気をよんだ。

葛飾北斎の想像画に対し広重の風景画は、雨にけむる風景、かすみにかすんだ野山、雪の静けさなど日本の叙情性をたっぷりふくんでいた。


「広重は素晴らしい印象派だ。わたしとモネとロダンは、すっかり心を奪われている・・・」印象派の中心人物の一人カミーユ・ピサロは、広重の風景版画との出会いをこのように書き残しています。


歌川(安藤)広重は、享年62歳で世を去り、東京都足立区伊興町前沼の東岳寺に静かに眠っています。
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