akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

 利休忌・「老古錐」

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豊臣秀吉千利休の庭に満開の朝顔が咲いたと聞きぜひ観たいと言った。
利休は「明朝にどうぞ」と招待する。


秀吉が訪ねると庭に満開であるはずの朝顔は一輪もない(利休は秀吉を迎える朝すべて摘み取ってしまい)たった一輪の朝顔を茶室に活けたのでした。
「一輪、たった一輪の朝顔ゆえの、いとおしさ」
察した秀吉は大茶人の利休を称賛したと伝えられています。


その利休が突然秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられて世を去ったのは1591年(天正19年)の2月28日です。
【利休の名の由来】
「利休」の号は正親町(おおぎまち)天皇から授けられたものといわれています。

千利休(せんのりきゅう)
中世末期、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られています。
「千」は氏で、利休の名字は田中で、名は与四郎(與四郎)です。

広く知られた利休の名は堺の南宗寺の大林宗套から与えられた居士号で正親町天皇の勅許による。

号の由来は「名利、既に休す」の意味とする場合が多いが、現在では「利心、休せよ」(才能におぼれずに老古錐の境地を目指せ)と考えられています。また『茶経』の作者とされる陸羽にちなんだものとの説もあるようです。
「利を休む」侘び寂を伝承した茶人らしい名前ではありませんか。
今の世に一番大事なものかもしれません。
※「老古錐・・・最初は鋭い切れ味を持つ錐も、年を経るとともに少しずつその先に丸みを帯びていく、利(切れ味)が休す(落ち着いてくる)


茶聖とも称せられ、 大阪府堺市宿院には利休の茶室跡と伝えられる場所があり、市の史跡として保護されています。


「利休饅頭」というお茶受けのお菓子が各地にありますね。

明治の初め、千家の宗匠を招き、大神宮献茶会を催された折、初代藤波五左衛門が宗匠好みの饅頭を創案しお茶の伴に用いたところ、其の床しき風味に感じ銘を利休饅頭と付けられました。

【千利休】堺市