akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

 『二宮金次郎』


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二宮金次郎 天保の大飢饉を救う】
アンコール放送(15日夜)を観ました。
その時:天保8(1837)年4月

出来事:天保の大飢饉二宮金次郎が小田原領民四万人を救済した。


(子どものころからよく働き、勉強熱心だった金次郎
その知恵と経験を生かして農民を指導し、たくさんの貧しい農村を救ったお話)

私の通った小学校には二宮金次郎の銅像がありました。
戦後でしたが、大砲や、軍事用材料に供出せずに残っていました。
毎朝意味も理解しないまま登校する度頭を下げていたのを思い出しました
また祖母から歌も教わりました



1 柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり
  親の手助け弟を世話し
  兄弟仲よく孝行つくす
  手本は二宮金次郎


2 骨身を惜しまず仕事をはげみ
  夜なべ済まして手習読書
  せわしい中にも撓(たわ)まず學ぶ
  手本は二宮金次郎


3 家業大事に費をはぶき
  少しの物をも粗末にせずに
  遂には身を立て人をもすくう
  手本は二宮金次郎

幕末に起きた江戸時代最大規模の災害、天保の大飢饉(ききん)。この時、全国の村々の救済に活躍したのが農民・二宮金次郎だった。勤勉の象徴として知られる金次郎だが、その名を残したのは大災害が続発した幕末、独創的な手法で村々の復興を次々と成功させたことにある。金次郎は、規則に縛られる役人達たち対立しながら、瀕死の困窮民の支援に奮闘。小田原領民四万人を一人の餓死者もなく救うことに成功した。番組では、知られざる金次郎の奮闘を描く。

金次郎の肖像の一円札も見たことがあります・・・古い!(*^^)v

こんな偉い人だと改めて知りました。

【二宮尊徳】

二宮金次郎の報徳生活』
【二宮金次郎(尊徳)のふるさと】

◎金次郎が学んだ論語の一節
「己に打ち勝てば、天下はその仁徳に従う」


◎金次郎が役人達に言った言葉
「政治が行き届かず、飢饉に及んで民を死にいたらしめるとすれば、一体なんと言って天に謝罪するのか。」

「それならば、許可状が到着するまでの四日間、我々役人一同も飢えた民同様に、断食すべし。」・・・規則に縛られる役人達たちに。


◎金次郎が農民達に言った言葉
「代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれた村民ではないか。死ぬのを黙って見ている道理はあるまい。貧乏人の中には怠けてそうなった者もおり腹が立つだろうが、それでもなお銭一文を施し、米ひとすくいを与えるのが人情というものだ。未来の実りを信じて今こそ飢餓を救うのだ。」


私達を育ててくれた、先生、おばあちゃん、ありがとう!当然両親も・・・。

【その時歴史が動いた】