akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

阪下宿 

歌川広重作 【阪之下・筆捨嶺】
【筆捨山】この山の名の由来は、画聖狩野元信がこの山の景観に惹かれて筆をとったが激しく変化する天候に追いつけず、ついに筆を投げ捨てたという、言い伝えからきているそうです。

東海道四十八番目の宿場・坂下宿は難所の鈴鹿峠の麓に位置します。
峠の頂上が三重県と滋賀県の県境で、当時の国境でもありました。
鈴鹿峠をひかえた坂下宿は、かつて東海道を行き交う多くの旅人でにぎわった宿場です。


【鈴鹿峠越え】古代の鈴鹿越えは、加太川に沿って多くの瀬を渡る険しい「加太越え」でした、都の移転で886(仁和2)年「阿須波道」と呼ばれた現在の鈴鹿越えが開通しました。そこで、この峠一帯の名称が鈴鹿山と呼ばれるようになりました。
【人馬駄賃(運賃)】
1611(慶長16)年、幕府によって街道筋の人馬駄賃の規則が定められたが、坂下宿は気象の変化が激しく、峻険な鈴鹿峠越えを要したため、他の宿場より割高な駄賃が認められたのだそうです。
【鈴鹿の観光】