2005-12-26 ・藤川宿 東海道五十三次 歌川広重作 【藤川 棒鼻ノ図】 棒鼻とは宿場の出入り口の事 江戸から三十七番目・七十八里二十九丁(約300㌔)の藤川宿は鎌倉街道時代からの古い宿場です。 明治に入り、鉄道の発達とともに宿場の機能は失われ、紡績工場が発展しました。 旅人を日照りや寒風から守る松並木は、開発の波に押されながらも、大切に保存されています。「ここも三河むらさき麦のかきつばた」芭蕉 藤川宿の名物は麦の穂が紫色の「むらさき麦」で芭蕉の句にも詠まれています。 むらさき麦(高野麦) きれいな紫色の麦で、食用のほか染料にも利用されたそうです。