舞阪

歌川広重作【舞阪 今切真景

浜名湖を描く題に真景とありますが実はかなりの想像図だそうで、実際は中央にある山は無く、舞阪側から浜名湖を見ると富士山は見えないのです。山については諸説あり、想像図とも、北側の庄内半島を誇張して描いたともいわれています。
                       

弁天島は1499年の大地震で島となった場所で、同時に浜名湖が海と繋がり、当時の人は陸地が今切れたのでこの場所を「今切」と呼びました。
陸地が無くなったため舞阪宿〜新居宿間は湖上一里の船渡しとなってしまったのです。


舞坂宿は西に浜名湖、南に遠州灘と海に囲まれた地で、漁業が盛んな街であったらしい。

江戸から67里、京に57里26町の舞阪宿は宿場としては小規模なものでしたが、船でしか渡ることのできない浜名湖今切の東側に位置していたため、交通政策上は重要視された宿場でした。

舞阪歴史散歩史跡
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