日坂

歌川広重作【日坂宿・小夜ノ中山
日坂(にっさか)宿は東海道25番目の宿
西に掛川宿、東に金谷宿と大きな宿場にはさまれ、小夜の中山峠は箱根とならぶ難所で宿場も東海道で1、2を争う(坂下(現三重県鈴鹿)、由比に次いで三番目)小さな宿場でした。

69歳の西行法師は2度目の峠越えで次の句を詠んだ。


「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜の中山」


西行は若き日この地を越えたことを思いだし、これまでの日々を回顧しながら命の尊さを詠んだ歌です。

【日坂の地名】について
日坂(にっさか)は西坂なり、佐夜中山の西にあればなり、佐夜中山の東にあるを東坂と言う類なり、西と言ふ訓をなまりて日字を用ひしも古きことと見ゆ 。『掛川志稿』より

お茶街道の旅>小夜の中山


歌川広重
(1797〜1858 )
江戸後期の浮世絵師で、「安藤広重」とも呼ばれています。
江戸八代洲(やよす)河岸の定火消(じょうびけし)同心、安藤源右衛門の長子として生まれる。
元服して父の職をついだが、のちに家職を養子に譲り、15歳のころに浮世絵師歌川豊広に入門し、1818年(文政元)ごろから多数の作品を残しました。
一遊斎、一幽斎、一立斎の号があります。


【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】