吉原宿は今のJR吉原駅付近にありましたが、度重なる洪水で北へ北へと宿場町が移転、現在の吉原本町に落ち着くことに、江戸から京都に上がる時は右の方に富士を見ながら行くのですが、宿場が内陸に移ったため富士山を左に見る北向きの道ができ、今まで右手に見えていた富士山が、左に見える東海道唯一の名勝となりました。
宿場近くに、京都へ向かって左側に富士山が見える「左富士」
吉原は水に恵まれていたため江戸時代から製紙が盛んで、製紙産業の町として発展してきました。
サッカーの応援に東海道線各駅列車で静岡まで行った時
富士駅から観た富士山の見事さに感動しました、駅名にするだけのことはありますね。