akaibara's diary

華道教授で サッカー大好き お母さんです

東海道五十三次

金谷

東海道五十三次・金谷 歌川広重作 【金谷 大井川遠岸】 大井川を渡る大名行列 お茶で知られた牧の原台地小田原の酒匂川の絵と構図が似ています。金谷宿は江戸から二十四番目の宿場 東に大井川、西に小箱根といわれた金谷坂や小夜の中山の難所を控え、交通の…

島田宿

大井川 歌川広重作・【島田宿大井川駿岸】 島田宿は東海道一の難所大井川 旧東海道は大井川を川越人足が渡しました。 現在は,上流500mほどにかかる大井川橋を渡ります。(橋の長さは,1kmほど) “箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川”の渡し…

藤枝

歌川広重作 【藤枝 人馬継立】 藤枝宿は東海道22番目の宿で田中城(歴代城主が幕府の要職に登用されたため別名を出世城と呼ばれた)の城下町として栄た。 東西に細長く連なる宿(約2km)で問屋場、本陣、旅籠や商家が軒をならべ賑わっていました。 【藤…

岡部

【歌川広重作 岡部宇津之山】 岡部宿(22番)は、歴史の古い町です。戦国期の武将、岡部氏が居住し、今川・武田・徳川の大きな領土に囲まれ人の往来が激しく交通路の整備が進みました。 岡部宿は他の宿場と比べ旅籠屋の割合が少なく往来する人々を相手にした…

丸子宿

江戸から20番目の宿場。 安倍川の渡しと宇津ノ谷の険しい峠道の間にある丸子(まりこ)宿は東海道の宿駅でも小さな宿場です。地形を利用した自然薯が有名で弥次・喜多の東海道中膝栗毛の中でも出てくる「とろろ汁」の茶屋が旧道沿いに現在でも茅葺き屋根の…

府中宿

府中宿は現在の静岡です。駿河の国府が置かれ、徳川家康がこの地を治め駿府城を築いた。城下町、府中宿は碁盤のような町割りで小田原宿のように今では茶町、研屋町、呉服町、材木町、紺屋町等の町名だけが残り宿場を偲ぶものはありません。 旧東海道はJR静…

江尻宿

【歌川広重作 江尻 三保遠望】 【カッパ伝説の稚児橋】 江尻宿を出て巴川を渡る橋を稚児橋という。 慶長12年(1607)徳川家康は東海道筋の整備を命じた。ここ江尻宿でも巴川にかかる橋の建設が行われた。 橋は江尻宿にできた橋という意味から「江尻橋…

興津

【歌川広重作・興津 興津川】 夜景東海道五十三次・興津【興津宿】は薩埵峠を越えホッと一息出来る、江戸から17番目の宿場です。 清見潟を見下ろす風光明媚な地と共に箱根のような関所が置かれ軍事・交通の要所でもありました。 明治以降は元勲たちの別荘…

由比

「広重の浮世絵と同じ景色の構図」 由比といえば桜えびです 【東海道十六番目の宿場町由比】 旧東海道沿いの「由比宿東海道あかりの博物館」 館内の照明を消すと、展示されていた瓦灯(かとう)などのあかりが美しい影を壁に映し出してくれる。 「瓦灯」は江…

蒲原宿

歌川広重作 【蒲原・夜之雪】 江戸日本橋から15番目の宿。蒲原宿は富士川と駿河湾による水害と闘ってきました。 蒲原はガマ(蒲)という植物がたくさん生えていたからついた地名だそうです。 現在の東海道では数少ない当時の面影が残る宿場町で 広重が描く東…

吉原宿

【歌川広重 吉原宿左富士】 吉原宿は今のJR吉原駅付近にありましたが、度重なる洪水で北へ北へと宿場町が移転、現在の吉原本町に落ち着くことに、江戸から京都に上がる時は右の方に富士を見ながら行くのですが、宿場が内陸に移ったため富士山を左に見る北…

歌川広重作 【原 朝之富士】 富士山の麓、静岡県沼津市 原原宿は沼津宿と吉原宿の間に設けられた東海道の中では小さな宿場です。 浮島沼を背景にした富士山の眺めは街道一といわれ、広重はじめ多くの浮世絵師によって描かれています富士山と駿河湾に囲まれた…

沼津

歌川広重作 【沼津黄昏図】 香貫山 市街地の南東部にある標高193メートルの山。頂上からは市街地と富士山そして遠くには南アルプスの荘厳な姿が一望できます。夜景の美しさも素晴らしいです【香貫山よりの夜景】 グルメ街道沼津の北の玄関口・東名高速道…

三嶋

湯河原のマンションを基点に箱根峠から坂を延々と下り、南方向に沼津市街、北方向に三島市街へ市中心部の東海道沿いには三嶋大社へ。 【三嶋 朝霧】 歌川広重作 【三嶋】 [三嶋大社] 鳥居を過ぎてすぐ、若山牧水の歌碑「のずゑなる 三島のまちのあげ花火 月…

箱根

東海道五十三次・箱根 歌川広重作 【箱根湖水図】箱根宿は、日本橋から10番目の宿場町。 箱根山の風光明媚な景観は、何百年もの時間(とき)が大自然の恵みを刻み続け、私達に多くの事を語りかけてくれます。いにしえの歴史を感じます【箱根観光情報】東京・…

小田原

【歌川広重作・酒匂川】 小田原宿は江戸日本橋を発って以来、9宿目にして初めての城下町です。 幕府は、江戸防衛のため架橋、渡船を許さなかったため宿場に入る手前の酒匂川を人力で渡らなければなりませんでした。 広重の絵にある後ろの山は天下の嶮、箱根…

大磯宿

歌川広重作 「大磯・虎ヶ雨」 石碑に「大磯八景の一 化粧坂の夜雨」大磯宿 「湘南発祥の地大磯の由来」によれば、崇雪という人が、西行法師の読んだ名歌「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立澤の 秋の夕暮れ」 を記念してこのあたりに標石をたてたと…

平塚

夜景名所「湘南平」 浮世絵に描かれた高麗山(こまやま)の西側にある湘南平【平塚宿】縄手道 歌川広重作【縄手道】 【夜景五十三次・高麗山夜景】【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】

藤沢宿

歌川広重作 【游行寺】 藤沢宿 【宿場案内】時宗総本山・遊行寺 宗祖は一遍上人。南無阿弥陀仏のお札を配って各地をまわり修行した(遊行という)念仏の宗門です。【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】

戸塚

東海道五十三次をテーマに、宿場があった土地を訪れ、現代の東海道と眺めくらべる 戸塚宿歌川広重作 【戸塚元町別道】戸塚宿は日本橋から5つ目の宿場町で 1604年(慶長9)に一般の宿場町よりもわずか遅れて伝馬宿に定められ、江戸―小田原間の中間にあたって…

保土ヶ谷

歌川広重作 保土ヶ谷 【新町橋】江戸からの旅人が最初に泊まる宿は戸塚あたりが多い。十返舎一九が作中の弥次に読ませた戯れ句にも「・・お泊りは、よい程ヶ谷と留め女、戸塚前ては(捕っかまえては)放さざりけり・・」 と書いてある。【歌川広重東海道五十…

川崎宿

川崎宿 歌川広重作 【六郷渡し舟】 【岩本輝雄の街道てくてく旅】【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】

神奈川宿

神奈川宿 【台之景】歌川広重作広重の浮世絵では、海に面した街道沿いに茶屋がならんでいる様子が描かれていますが、当時の海岸線は明治以降に埋め立てられた。横浜開港のおり、宿場内の成仏寺や慶安寺などの寺院が、各国の領事館として利用されました。がけ…

品川宿

「お江戸日本橋七つ立ち・・♪♬」 日本橋に始まり、京都・三条大橋までの百二十余里(約500キロ・メートル)の道程である。 【日記 東海道五十三次日本橋】 歌川広重作 【日本橋】朝之景 1番 歌川広重作 【品川】日之出品川宿話来週は川崎宿です、楽しみ…

 宿場呼び名

No 宿場名 読み方 現在の地名 日本橋 にほんばし 東京都中央区 1 品 川 しながわ 東京都品川区 2 川 崎 かわさき 神奈川県川崎市川崎区 3 神奈川 かながわ 神奈川県横浜市神奈川区 4 保土ヶ谷 ほどがや 神奈川県横浜市保土ヶ谷区 5 戸 塚 とつか 神奈川県横…

 日本橋

江戸時代に江戸(日本橋)と京都(三条大橋)を結んだ東海道の五十三の宿場を東海道の五十三の宿場を描いた浮世絵と絵師歌川広重と共に終着宿場まで辿りたいと思います。 日本橋は徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年に初めて架けられた橋で 翌1604…