東海道五十三次

京都

東海道五十三次・京都 歌川広重作【京都三条大橋】*1 【三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)】天正年間の擬宝珠→ 現在の三条大橋の欄干には十二の擬宝珠(ぎぼし)があります。 「生け花に使われる擬宝珠(ぎぼし)は花のつぼみも葉の形も上端につける宝珠形の装飾に…

大津宿

歌川広重作 【大津・走井茶店】 品川宿から西へ上って東海道最後の宿場です 江戸日本橋から大津宿まで481.1km、 大津宿から京都三条大橋まで11.7kmあります。 宿場として成立したのは江戸寺時代の1602(慶長7)年に、大津陣屋が置かれたことによります…

草津宿

草津宿は江戸から52番目の宿で東海道と中山道が合流・分岐する交通の要衝として栄えた宿場町です。♪草津良いと〜こ♪一度は〜おいで〜♪・・の草津温泉ではない。歴史街道「草津」のことです。 名物は広重の画中にもあるように「姥が餅」が有名。【歌川広重…

石部宿

江戸日本橋より454.7km 51番目の宿場です。歌川広重作【石部・目川ノ里】 石部宿は京都から36kmあり東へ下る(都が京にあった頃は下り)旅人の多くが最初に泊まる宿場です。 広重描く石部は遠くに琵琶湖が見渡せる草津に近い目川ノ里で画中の田楽焼豆腐「…

水口宿

東海道五十三次・水口宿 歌川広重作 【水口・名物干瓢】 水口宿は東海道五十三次の50番目の宿場 水口城址1634(寛永11)年,3代将軍家光上洛の際水口御茶屋としてつくられその後水口藩2万石加藤氏の居城となりました。 江戸時代、加藤氏の城下町とし…

土山宿

歌川広重作【土山・春之雨】 土山宿一里塚 【江戸日本橋から110里】 馬子唄にも 「♬(ハイハイ)坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山エー雨が降る(ハイハイ)♪」 と唄われているように雨が多い所で広重の絵【土山・春之雨】には雨の降り続く田村神社(坂…

阪下宿 

歌川広重作 【阪之下・筆捨嶺】 【筆捨山】この山の名の由来は、画聖狩野元信がこの山の景観に惹かれて筆をとったが激しく変化する天候に追いつけず、ついに筆を投げ捨てたという、言い伝えからきているそうです。東海道四十八番目の宿場・坂下宿は難所の鈴…

関宿

歌川広重作 【関・本陣早立】 江戸日本橋より47番目の宿場です。 東海道五十三次制覇も後僅かになりました。 2005年4月6日の【シティライフ 夜景五十三次】をヒントに旅(仮想)をしてきました。 毎週水曜日【一宿】書くと決めていましたので楽しみでした…

亀山

歌川広重作【亀山・雪晴】 江戸日本橋より46番目の宿場です。 亀山は中世からの宿で1601(慶長6)年に江戸幕府が宿場を整備したときに、宿場に定められました。 亀山は城下町です。亀山城は戦国時代に丘陵状の地形を利用し築かれた城で曲がりくねった複雑な…

庄野宿

歌川広重作【庄野・白雨(にわかあめ】 「庄野」は人間の動きが主体に描かれ生き生きと躍動している描写が名作といわれています。 傘をさして夕立の中を急ぐ人と, 微かな家影を大胆な線で被った雨の表現は 見応えがあります。 庄野宿は東海道45番目の宿場…

石薬師宿

歌川広重作【石薬師・石薬師寺】 石薬師宿は周囲を田園地帯に囲まれ宿泊客も少ない静かな小さな宿場です。 宿場内の石薬師寺にちなんで宿場名が付きました。 [石薬師寺]は真言宗の古寺で、厄除祈願のお寺として知られています。 宿場入口の北町地蔵堂は江戸…

四日市宿

歌川広重作【四日市・三重川】 広重の描いた四日市宿は,この三滝橋から桑名湊をながめた絵と言われています。江戸以前から海陸交通の要で、毎月4日に開かれる市が定期的に行われ、四日市の名がついたといわれています。 伊勢参宮道への追分もあり宮から船…

 桑名宿

歌川広重作 【桑名・七里渡口】 桑名宿は尾張から海上七里を渡り伊勢神宮へ参拝する人々で賑わい 木曽・揖斐・長良川の三大河川が合流する河口に位置し、物資の流通の場としても繁栄しました。残念なことに江戸期の二度の大火で歴史的建造物は消失、 明治維…

宮(熱田神宮)宿

歌川広重作【宮・熱田神事】 東海道で最大の宿場 宮宿の宮とは、熱田神宮のことです。 桑名への渡船場、佐屋・美濃への分岐点、熱田神宮の門前町として賑わっていました。 今では街道から離れた名古屋城辺りが街の中心となっています。 「熱田神宮」☜ 熱田神…

鳴海宿

歌川広重作・【鳴海・名物有松絞】 鳴海宿はその名のように海に近い町でした。 「太閤記」では秀吉によって築城されたという墨俣城 江戸時代、間宿の有松で作られた木綿の絞は街道の人気商品となり商家が立ち並ぶようになりました。 「東海道中膝栗毛」では…

・知立宿

(池鯉鮒宿) 歌川広重作 【池鯉鮒・首夏馬市】 古くから知立と言う地名でしたが、江戸時代から知立神社内の大きな池に鯉や鮒が多く居た事から池鯉鮒と付けられた。(読み方も「ちりゅう」「ちりふ」似ています) 明治以降は知立を使用している。池鯉鮒宿は…

 岡崎宿

歌川広重作【岡崎 矢矧之橋】 岡崎宿は東海道でも府中宿・宮宿と並ぶ大きな宿場でした。 岡崎は徳川家康の生誕の地です。 「岡崎27曲がり」岡崎城 城下には敵の進入を防ぐため、道を複雑に巡らせた特徴ある城下町です。名物の八丁味噌は有名で家でもカクキ…

・藤川宿

歌川広重作 【藤川 棒鼻ノ図】 棒鼻とは宿場の出入り口の事 江戸から三十七番目・七十八里二十九丁(約300㌔)の藤川宿は鎌倉街道時代からの古い宿場です。 明治に入り、鉄道の発達とともに宿場の機能は失われ、紡績工場が発展しました。 旅人を日照りや…

 赤坂 

歌川広重作 【旅舎招婦ノ図】 赤坂は幕府の直轄地でありながら吉田・御油と並んで遊女の多い歓楽街として栄えた宿場です。赤坂宿(宝飯郡音羽町)の入り口にある関川神社の境内には、松尾芭蕉(1644−1694)の「夏の月ごゆより出て赤坂や」の句碑が建…

御油宿

東海道35番目の宿場 歌川広重作【御油 旅人留女】「旅人を引留めようと懸命な遊女」を描く御油の松並木 1604(慶長9)年に,徳川家康が約650本の三河黒松を植樹させたものといわれています。昭和19年に天然記念物に指定されました。江戸と大坂のほ…

吉田宿

歌川広重作 【吉田 豊川橋】吉田宿は新幹線の止まる現在の豊橋市です。 宿場は豊川が流れ吉田城を有する城下町で東海道の中でも大きな宿場の一つで 「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が・・」と唄われ飯盛女の多かったことでも知られていまし…

二川宿

歌川広重作 【二川 猿ヶ馬場】 東海道33番目の宿場、二川宿は東海道を江戸から京都へと上って行くと、三河国(愛知県)最初の宿場町でした。宿場としては小さく、近年には製糸が盛んになりましたが、大きな産業もありませんでした。 現在では豊橋のような…

白須賀宿 

歌川広重作 【白須賀汐見阪図】 遠州灘を望む汐見坂を描く。 東海道五十三次の32番目の中くらいの規模の宿場です。 現在でも、格子戸のある古い民家等江戸時代の面影を残しています。 鎌倉時代から「白い砂州の上に開けた集落」の事を「白須賀」と言い、そ…

新居宿

歌川広重作【荒井 渡舟ノ図】 関所と渡船権をもつ新居宿は宿場としての機能は小規模で旅篭の数も東海道五十三次中四十八番目と言われています。 【新居関所】 慶長5年(1600年)徳川家康は東海道を整備したおり,江戸防衛のため新居関所を設置。当時の旅行…

舞阪

歌川広重作【舞阪 今切真景】浜名湖を描く題に真景とありますが実はかなりの想像図だそうで、実際は中央にある山は無く、舞阪側から浜名湖を見ると富士山は見えないのです。山については諸説あり、想像図とも、北側の庄内半島を誇張して描いたともいわれてい…

浜松宿

歌川広重作【浜松 冬枯ノ図】【浜松城】別名:引馬(曳馬)城 徳川家康(29歳)が1570年 入城 駿府城に入るまでの17年間をこの地で過ごし、姉川、長篠、長久手、三方ヶ原などの難戦を乗り越え徳川300年の歴史の基礎を築きました。 三河から次々と勢力を伸…

見付

歌川広重作 【見付天竜川図】 見付宿は現在の磐田市です。 サッカーのジュビロ磐田や東海道随一の学問の神様で崇拝される「見付天神」の「裸祭」で知られています。 見付の名は西から来て始めて富士山が見えた、見付けた場所からきたと言われています。 見付…

袋井

歌川広重作 【袋井 出茶屋ノ図】[東海道五十三次のどまん中] 袋井宿は掛川宿と見付宿の間に江戸・京都からどちらも東海道27宿目で江戸から60里の、真ん中の宿場として、他の多くの宿より15年ほど遅れて、1616年開設されました。袋井は宿場町より…

掛川

歌川広重作【掛川 秋葉山遠望】 倉真川の大池橋から見る秋葉山を描く。 静岡県周辺では現在でも秋葉山はだれでもが知る山です。 風の強い光景を糸の切れた凧、橋を渡る人の表情を描いて表現しています。 NHK大河ドラマ「功名が辻」 来年放送予定の主人公…

日坂

歌川広重作【日坂宿・小夜ノ中山】 日坂(にっさか)宿は東海道25番目の宿 西に掛川宿、東に金谷宿と大きな宿場にはさまれ、小夜の中山峠は箱根とならぶ難所で宿場も東海道で1、2を争う(坂下(現三重県鈴鹿)、由比に次いで三番目)小さな宿場でした。69…